会報誌「自然」バックナンバー

令和2年3月18日号

1.表紙写真と言葉「ベニマシコ」和田信宏

          ベニマシコ
          ベニマシコ

千葉では冬鳥ですが、比較的移動が遅く、4月半ば位まで見られます。葦原、草地、農耕放棄地などで見られ、草の種などを食べます。「ピッ、ピッポ」「フィツ」という地鳴きの声に気づけば、探すことが出来ます。♂は赤みがあり、更に深紅になる繁殖期の姿は、北海道や本州北端の繁殖地で見ることが出来ます。

 

目次

 

自然観察会の予定(4月~6月)

学校支援・生き物調査の予定

観察会報告

学校支援報告「冬の自然観察」他

2.寄稿「頭隠して尻隠さず!」鶴田美枝子

2月の初めにメールが来ました。

「たろやまの郷で今まで見たことがない丸い1㎝ぐらいのウンチがたくさん落ちているがウサギのウンチにしては大きいので何だろう?」と「丸いウンチはウサギ以外には鹿の仲間もそんなウンチをするかな?」

最近南房総ではキョン(小型の鹿)があちこちで被害を与え、繁殖力が旺盛で問題になっていました。とうとうここにもキョンが現れたのかと頭をよぎりました。すぐに「キョンじゃない?」と返事をしました。すると「ウンチの大きさはキョンは7mmで違う」と却下されました。

何だろうと考えていると栗山さんが判断して「やっぱりウサギです。」とそのウンチの写真を送ってきました。まさに今まで見ていたウサギのウンチでした。

「良かった❢」ここの所ウサギのウンチも、足跡を見られませんでした。たろやまの郷でイタチ、アライグマ、ハクビシンの目撃もありました。オオタカやフクロウなど猛禽類もいます。シマヘビ、アオダイショウ、ヤマカガシ、マムシ、ジムグリ、シロマダラなども近くで見ていました。これらの被害にあっていないかと、また周りの森が林がどんどん住宅地に変わり、棲む所がもう無くなってしまったかと諦めかけていました。

私は畑に残された動物の足跡を見るのが好きです。たろやまの郷の近くの畑では雑草が生え始めるとトラクターで雑草を取り除き表面を平らにならしました。その上を横切った動物たちの足跡を見ることができました。ウサギ、タヌキ、ネコはわかりました。

特にウサギの足跡は面白く、たろやまの郷に向かってゆっくり走って行くもの、戻って来るもの、躊躇して立ち止まり、急に方向を変えスピードを上げて走り去ったもの、子ウサギの小さい足跡など何種類もあり散歩の途中飽きることなく長い時間見ていましたが、最近は足跡もなく、どうしたのかと思っていました。

生き物調査の時、そのウンチを見に行きました。マンリョウやカラタチバナの幹が刃物で切られたように、葉の付いていた下からバッサリ幹ごと噛み切り、散らかし、幹の皮を引き剝いた後がありました。そしてシラカシの葉を敷き詰めその上に大量のウンチがありました。ヤツデも長い葉柄の真ん中を少し食べ、後は散らかしていました。こんな食べ方をするのに驚きました。

少し思い出したことがありました。

1つは随分前にムクロジでダイズの新芽の被害がありました。農業を目指しリストラした若者がヨシが蔓延っていた荒地を朝から晩まで開墾し、やっと大豆の種を蒔きました。芽が動き双葉も出て本葉が出始め、ホッと一息つける状態になった矢先の事でした。

畑のほとんど全てのダイズの先の本葉だけを刃物で切り取ったように食べて無くなっていました。そしてウサギの糞があちこちにありました。やっとの思いで開墾し、どんなに肩を落とされたかとかける言葉もなかった事を思い出しました。

もう一つは近くの森での事でした。森の中の小さい広場にケンポナシの木が何本もありました。夏、ノコギリクワガタがバケツに1杯も獲れる所でした。冬のある日、散策していると、そのケンポナシの幹の皮が全てある一定の高さで剥がされていました。ひこばえの先も刃物で切り取れたようになくなっていました。そしてウサギのウンチが大量にありました

最後に総合公園の体育館の裏の木道を何人か歩いていた時,斜面をゆっくり降りてくるものがありました。何だろうと見ていると子ウサギでした。目があった途端スピードを上げ走り去りました。

どこへ行くかとそっとみんなで追いかけて行くと、石垣の隙間に頭だけ突っ込んでいました。もうしっかり隠れてるつもりで安心した様子でしたが、可愛いお尻はそのまま私たちに丸見えでした。諺にあるような場面に、みんなで大笑いしました。「頭隠して尻隠さず」誰かがそのお尻に触れてみると子ウサギは驚き、一目散に丘を駆け上がり姿が見えなくなりました。

令和2年1月15日号

1.表紙写真と言葉「シメ」和田信宏

              シメ
              シメ

 太い嘴で一見するとコワモテの悪人面をしています。

千葉には冬鳥としてやってきて、総合公園などで観られますが、餌探しに地面に降りていても、危険を察知するとすぐに飛び立ってしまうので、高い枝にとまった姿を双眼鏡で観察するほかありません。「チッ」という金属的な鳴き声が、捜すポイントです。 

-目次-

・新年のご挨拶

・自然観察会の予定(1月~4月)

・観察会報告

・学校支援報告他

 

2.寄稿「エノキは残った!」鶴田美枝子

いつも波乗りロードを通り51号に出る時、成山を横目で見ながらどうなっているのか気になっていました。

 

先日、「成山の開発の工事がこの春に終わる」とメールをいただきました。工事は10年くらいの予定でしたが、あれからなんと24年も経っていました。

 

私が同好会に入る前ぐらいから開発が始まりました。その頃、成山がそこにある事も、開発が始まったことも知りませんでした。

 

みそらの住人の方に「成山の森は深く、近づくのが怖いところだった」「昼なお暗く、人を受け入れないぐらい深い森よ」と聞きました。

 

みそらの公園から対岸にある成山を眺め、観察会は始まりました。

 

もうそこから別世界でした。古村の常緑広葉樹に覆われた暗き道を進むとアオバズクが巣を作り、子育てした大きなスダジイがあり、そこから谷津に降りて行くと背の高いキブシ、スダジイ、ケヤキ、シラカシなどの広葉樹が乱立し、大きな墓があります。

 

また、狩りバチが大きな蜘蛛をその墓石の隙間に運んでいたり、サンカクヅル、ガマズミ、カマツカ、サワフタギなどの花に気をとられていると足元にアオイスミレ、タチツボスミレ、マルバスミレ、ジュウニヒトエなどが春を知らせ、ギンラン、キンラン、エビネ、タニギキョウなど貴重な花たちにバトンが渡され次々と所狭しと花が咲いていました。 

 

坂を上り、林縁を観察していると大きなヘビが獲物を食べたばかりか喉元をパンパンに膨らませ苦しんでいる所に出会ったこともありました。また激しい動きに驚き目をやるとアオダイショウの交尾を目撃したり、盛りだくさんの自然がそこにありましたが、訪れるたびに開発はどんどん進んでいきました。

 

日により観察場所が異なり、縄文時代に必要だった土器を作る粘土を専門に取る所もありました。その粘土を食べ物や黒曜石など生活に必要な物とずいぶん遠くまで交換に出掛けたようでした。

 

また、おおきな方墳もあり、千葉にない大きな石や勾玉も見つかりました。力を持った豪族が住んでいたことがうかがえました。私たちを育んできた大事な歴史と自然がそこにありましたが、一瞬にしてすべての物が無くなっていきました。この森を少しでも良い方向に残そうと任海さん、市川さんなどたくさんの人々がいろいろな知恵を出し、沢山話をし行動しました。

 

ギンラン、キンラン、タコノアシなどの貴重種、長い間この森を守ってきた大きな木の植樹などなどやって来ましたが上手くいきませんでした。ほとんどは根付かず枯れてしまいましたが、新しい広い空間の中に1本だけ支えられながらエノキが立っているのを見つけました。「あ~~そうだ❢」「あの時の」と少し心がウルウルしました。 

 

今回は依田さんが林縁を歩けるように手入れしてくださったので観察会にとお誘いがありました。林縁を少し歩くのかと参加しました。観察会ではなく探検隊でした。

 

私の目が悪かったのでしょうか?参加したことに後悔しながらアズマネザサ、マダケ、ノイバラの生い茂る中を藪漕ぎ、クズ、フジなどつる植物に足をとられながら必死に足を上にあげ前に進み、粘土の壁にも負けじとがんばりました。しかし70才になった老婆には過酷でした。最後の最後とうとう粘土に足をとられ、ズボンも上着もドロドロになりました。こんなになったのは何年ぶりだろうか?

 

ここにお暮しになり毎日変貌する景色を目の前にしながらの生活は言葉にならないぐらいの悲痛な思いがあったとお察します。本当に長い間ご苦労様でした。新しい環境がどう動いて行くかも気になりますが、もう全く異次元の世界のように思いました。                                                           

2.寄稿「古民家の話」太田慶子

 私が生まれた家は藁葺きだった。下図にあるように、平屋で、子どもの頃の記憶では、各部屋がもっと広い8畳間だったように思えたが、確認にために母に聞いたら、そこは6畳間だと訂正された。

 そして部屋には壁がなく、真ん中に柱があって、ふすまでしきられていただけだった。

 土間に面したところは板の間で、そこに卓袱台をおいて食事したが、寒い時期は隣接の畳の部屋が掘りごたつになっていたので、そこで食事もした。

 風呂に入るのも、食事をするのも、一旦土間に下りて下駄を履いて用を足すことになるわけで、これが靴を履いてとなるとかなりめんどうだったのでは、と今では思う。

 

 風呂は五右衛門風呂で、そのためか天井は低かった。風呂釜には蓋代わりに底に沈める丸い板が乗っていた。

 先日、「江戸東京たてもの園」というところに行った折、私と同年齢くらいの女性でも五右衛門風呂を知らないとかで、「窯は火で直に温めるので、蓋の代わりに浮かべてある円い板をゆっくり沈めて入って、背中が釜に当たらないよう座るんです」というと、へぇーという顔をされた。

 今から60年近く前だと、都心と地方ではきちんと格差があったということだろうか。

 水道がなかったころは、その風呂に水を入れるのが大変だったようだ。家を建て替えたとき、風呂釜は土を掘って埋めて、束ねた植木(の苗)の水やりに役立っていたが、その後植木を作らくなってからどうしたのだろう?

 

 なお、風呂の焚き付けは外でやるから、薪は雨に濡れないところにたくさん積んであった。薪の燃えカスが灰となってたくさん出たが、今では灰など見ようにも見られないなぁと。

 

幼い頃住んでいたのが藁葺きの家だったせいか、茅葺きの、いわゆる古民家というものに関心というか、親しみを感じてあちこちに行って見学するが、一口に「茅葺き」といっても、その材料のカヤにはいろいろある。

 

まず、カヤというのは特定の植物ではなく、ススキやアシなどがすべてカヤで、暮らしているその場所で何が取れるかで、そのカヤがなんであるか違ってくる。

 

草原ならススキだろうが、川や湖が近くにあれば、アシであったり、クサヨシだったりする。また使われる材料は1種類ということでもなく、外側はアシが使われ、一番内側は藁で、その間にススキとか檜皮で葺かれている場合もある。

 

藁は保温性があるが、水には弱く、檜皮が使われるのは水を通しにくいからだろう。また、日が良く当たる南側とそうでない北側では傷み方が違い、日当たりの悪い北側は藁が早く腐る。

 

住んでいた頃は、藁葺きももうかなり傷んでいたのだろう、よく雨漏りがして、ひとつや二つの洗面器では受けきれないほどあちこちで漏ったりした。

 

補修しようにも、今ではまとまった量のススキも手に入らない。ススキは富士山の裾野で刈られるらしいし、また職人さんも特殊技術となるから、茅の葺き替えには半端ではない費用がかかる。茅葺きの維持には、それなりの見学料を取るか、自治体のバックアップが必要となるわけだ。

 

川崎の古民家園というところは全国の立派な古民家が集められているところで、3月に行ったときは、シーズンオフだったせいか、障子の張替えをしていて、聞くと、コウゾを原料としたちゃんとした和紙を使っているそうで、和紙だと10年くらい張替えをしなくてももつのだそうだ。

令和元年11月20日号

1.表紙写真と言葉「モズ」和田信宏

            モズ
            モズ

 の終わりごろから「モズの高鳴き」と呼ばれる、特有の鋭い鳴き声が聞かれるようになります。捕まえたバッタやトカゲなどを枝に刺して保存食にするといわれるハヤニエを見ることがあります。

 

小動物だけではなく、猛禽類のように、自分の体ほどの中型の鳥を捕まえることもあります。 

黒いサングラスを掛けているように見えるのは♂です。

 

 -目次-

1.自然観察会の予定(11月~2月)        2.  学校支援・生き物調査の予定定        3. 観察会報告 「加曾利貝塚」「吉見の森」  「山梨・小名木」「馬渡の森」     

4.旭公民館祭報告

5.学校支援報告「秋の自然観察」                    

 


2.寄稿「静岡旅行記~久能山東照宮」太田慶子

9月25日と26日に静岡を旅行しました。

 

25日は大井川鐵道に乗って寸又峡へ行き、川にかかる吊り橋を渡り、またアプト式の列車に乗ってきました。閑散期の水曜ということで、列車はがらがらでした。蒸気機関車に乗りたい・紅葉を見たいというなら別ですが、人の少ないときに行くと、ゆったり自然が楽しめてお勧めです。

 

 野草は少なかったですが、トンネルの中に大きなヤママユの雄やオレンジ色が目立つキマダラオオナミシャク、きれいなヒトツメカギバなどがいました。夜、電灯のついているところにやってきたのでしょう。ミヤマアカネもいて、ギンモクセイが香っていました。

 

翌26日はまず駿府城へ。駿府城は家康が晩年の10年近くを過ごしたところで、元は今川氏の城。イソヒヨドリが鳴いていて、なんとニイニイゼミの声も聞かれました。今夏最後のニイニイの声でした。

 

ここから、近くにある静岡の浅間神社へ。稲毛の浅間神社とは比べ物にならないくらい大きく、立派に彩色された神社でした。傍らの麓山神社の百段ほどある階段を登ると、なんとそこではクマゼミの声が聞かれ、これも今夏最後のクマゼミの声になりました。

 

午後、バスで日本平に行きました。時間に余裕があったので、新しくできた日本平夢テラスに上がって、四方を眺めます。天気が良かったので、午前中なら眼下の三保の松原の向こうに富士山も見えたのでしょうが、伊豆半島の突端、石廊崎までは見えました。

 

このテラスに上る階段の途中でクサヒバリのフィリリリリ‥という声に交じって、にスズムシのリーン、リーンなどの声もしているかと思うと、草原ではキリギリスの声がして、ツクツクボウシも鳴き、足元にはツリガネニンジンが咲いていました。

 

日本平(300mほど)は日本武尊(やまとたけるのみこと)が、草薙剣で野火の難をはらい命拾いをしたあと、高台(有度山(うどやま))から眺めたので日本平と言われるとか。その後、房総(上総の国)に渡ろうと、走水(はしりみず)で妃の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)の入水により海上の難を逃れ、その姫の袖が流れ着いたのが袖ケ浦だと。

 

また、本納には姫を祀った橘木(たちばな)神社もあります。当時駿河などからは海を渡り、房総を通って北へ向かうのがメインルートでした。

 

久能山東照宮へ下りるケーブルに乗ります。ケーブルを降りたところに東照宮へ上る石段があり、大きなクスノキにはフウトウカズラやマメヅタが絡み、枝にはヒトツバ(シダ)が生えています。カラスザンショウもあるのか、モンキアゲハとカラスアゲハがよく飛び、南房総の植生と似ている感じがしました。

 

久能山は家康自身が死後ここに祀れと命じたところで、その一年後には日光に東照宮を作れというのが遺言だったとか。いずれの東照宮も極彩色で、昔から趣味に合わないなぁと思っていましたが・・

 

家康が埋葬してある神廟には、オナガグモが網をかけ、なんと愛馬を葬ったとある札の下にはタゴガエルがじっとしていました。ここで、このカエルに会おうとは・・(私に目に付くのは、とにかく生き物なんです)

 

バスにはまだ時間があったので、資料館で東照宮の大修復を記録したビデオを見ました。

 

漆は50年しか持たないので、50年毎に大修復をするそうで、修復時にまず下地の漆までを削らなくてはならない。そのうえできれいにして、漆を何度も塗り、さらに岩絵の具で、元のように彩色することになる。

 

漆は湿度にうるさく、気候を考慮して作業をしなくてはならない。きれいに漆が塗られてこそ、岩絵の具による彩色もきれいにできる。彩色は3色が基本で、更に金箔が貼られて完成ということになるそうだ。

 

修復から既に10年を経て、日の当たる南向き正面と、日の当たらない所の額とでは、劣化の度合いがかなり違うのがわかりました。

 

もちろん権力を誇示する狙いもあったのでしょうが、この修復過程のビデオを見て、極彩色という装飾に対する見方が変わりました。

 

最後に、1159段という石段を下りて、太平洋側に出ました。

3.寄稿「小さな秋ど~こ?」 鶴田美枝子

9月の2週目に庭のギンモクセイが良い香りを放ち、「あっ、秋が来た❢」と感じました。

 

毎年、このすぐ後にキンモクセイの花が咲き始め、町中がこの香りに満ち溢れ秋になりましたが、今年はほんの一瞬だけ香りを感じただけで、その後の続きがありませんでした。「これから香るのかしら?」と、庭に出るたびに動きのないキンモクセイの木を眺めていました。

 

そんな時、知り合いからから「お彼岸なのにヒガンバナが咲かない❢」とメールが来ました。私も庭のヒガンバナを見ていましたが、花穂が地面から少し顔を出し始めたぐらいでした。

 

しかし、白花のヒガンバナは花穂を伸ばし咲き始めていました。散歩の時も注意していると鹿渡、内黒田、小深町のヒガンバナも白い花は満開状態でしたが、赤い花の方は全く動きのない所もありました。毎年お彼岸には必ず日本全国一斉に咲いていたのにと不思議に思いました。

 

新聞も日本中で起きているこの異変を取り上げていました。

 

「9月に入ってもいつまでも気温が高く、雨が降らなかったからかしら?」しかし、ヒガンバナの観光地では例年と変らず、赤に埋め尽くされている映像が流れました。

 

「どうなっているんだ?」と会う人会う人に話し、大騒ぎしていると10日ぐらい遅れてあちこちで咲き始め、ホッとしましたが、残念ながら花の色、花の数は例年に比べると少し淋しく、咲いている時期も早く終わったように感じました。

またこんな事もありました。

 

歩く時間が悪いのか田んぼの周りではトンボが少なかった。ハグロトンボ、ノシメトンボばかりでした。

 

時々真っ赤なマユタテアカネはいましたが、ウスバキトンボは数も少なく、いつもは黄金色に輝く田んぼの上をウスバキトンボが群れをなし飛んでいましたが、そんな秋の風景は残念ながら見られませんでした。口をついて赤とんぼの唄が出てくることもありませんでした。

 

ある日側道の水たまりに連結した赤とんぼが産卵していました。腹部の先を水面に打ち付ける打水産卵だったのでアキアカネと分かりましたが、ここでは子孫を残す事は無理なようです。水田の環境が変化しトンボたちはどうなるのかしら?

 

やっと台風が通り過ぎた朝(10月中頃)、庭に出るとキンモクセイが香り始め、花が咲き出しました。

 

香りの輪が広がり何処にいてもこの香りがしました。やはり、ヒガンバナと同じように1か月ぐらい遅れてました。例年に比べ季節の流れが随分違っているのに驚きました。「今年だけなのかしら?」夏が長く、秋がほとんどなく、キンモクセイとサザンカ、ツバキが同時に咲いているのは少しいただけないように感じました。「これからどうなるのかしら?」「毎年このような風景を見る事になるのかしら?」

 

また、こんな事が分かりました。

 

この異変のお陰で、わが家のギンモクセイについて調べました。

 

引っ越してきた時「大変珍しいのよ」と言われました。初めの何年かは白い花が咲いていましたが、いつの間にか薄黄色になっていました。これはキンモクセイより少し早く咲き始め,葉は鋸歯がある物とない物がありました。

 

いろいろ考え調べた結果これはギンモクセイではなく、ウスギモクセイだと分かりました。分かるまで随分長い時間がかかりました。植木鉢に植えているのでまだ果実ができたことがありません。庭の何処か空いている所を見つけて植えてみようかと考えています。