会報誌「自然」バックナンバー

令和2年5月20日(第331号)

新型コロナウイルスのせい?ではからずも初めてのカラー版になりました。

1.表紙写真と解説「ハクセキレイ」和田信宏

 

長い尾を上下させるのが特徴で、住宅街でも見ることが出来ます。田んぼや小名木川には、セグロセキレイとキセキレイがいて、市内で3種のセキレイが見られます。駅北口ロータリーのイチョウの木は、今やムクドリのねぐらと化していますが、その前はこのハクセキレイが数百羽、集まっていたのは壮観でした。

 

目次

当面の考え方・自然観察会の予定

学校支援計画

観察会報告他

2-1.寄稿『「トトロの森」から「たかおの杜」に』 任海正衛

 

四街道市に「たかおの杜」と呼ぶ新町名ができるそうです。どこに? 名前の由来は?

 

自然同好会の観察会で「トトロの森」とも呼ばれた豊かな自然があった成山の区画整理区域です。着工から24年、やっと事業終了の見通しがついたようです。「たかおの杜」は「高龗(たかおかみ)神社とたくさんの緑地があり、豊かな森があるからとの意味で」命名するそうです。

 

1996年秋に工事が始まってから24年間(実はそれ以前から)、地形を大幅に変え自然を破壊する開発事業に対し、みなさんとともに取り組んできました。四街道の中で身近にある豊かな自然を守りたいと、自然同好会が中心となり「成山の自然を守る会」を作り、自然の保全を求める活動を行いました。多くの市民が強い関心を持ち、事業に際し行われた「環境アセスメント」では公聴会に多くの人が集まり、103通の意見書が出され、「成山の自然を守って」との請願には1万4千人以上の署名も集まりました。

 

開発事業は進みましたから、自然が完全に守れたわけではありません。しかし、この運動は、残存緑地の増加とか斜面林の復元、自然共生型への雨水調整池設計の変更などに大きな力になりました。一緒にご努力いただいた皆様に感謝の気持ちも兼ねて、状況をご報告いたします。工事は夏には終えるでしょう。

 

 

<成山は豊かな自然があった。移植は失敗> 

 

環境アセスメント補足書によりますと植物で558種(たろやまの郷は525種確認)、昆虫403種等で、絶滅危惧種も多く見られました。毎月行われた観察会では、この場所をぜひ残してほしいとみんなが言いました。事業者は、貴重種(絶滅危惧種等)は、全ての個体を保全すると表明、私たちは移植作業員に同行し救出作戦を展開しました。

 

 移植により、自然は守られたでしょうか? 見回すだけで 100本も見られた杉林のキンランは、高龗神社内のキンラン生息地に移植しました。事業者のコンサルの「専門家」と称する人が「絶対に大丈夫」と言ったのに、数年で全滅です。移植で成功したのは、大径木数本と、クマガイソウ(移植地を私が管理した)の一か所だけでした。地形を大幅に変える開発は問題です。(右図、事業計画。薄い色のところは台地を削り、濃い所は谷を埋めた。残存緑地と神社だけがそのまま)

 

<残存緑地、調整池や斜面林は> 

 

当初の計画では、地形をいじらずそのまま緑地とするところ(残存緑地)は、神社を含め全体の1%(緑地は全体で10%)にすぎませんでした。削られた、または埋められた地面の植物は再生しません。もともと生息していた植物・動物を保全することが大切ですが、地形をいじるとそれができないのです。環境アセスメントに多くの意見が出て、事業計画は大きく変更されて認可されました。残存緑地が11%に、緑地の総計が25%に、と大幅に増えました。また造成によってできた斜面は、郷土の樹木を植え斜面林を復活することとなりました。

 

 山を切り開き樹木を無くすと保水力が無くなり、大雨の時に下流で洪水になります。そのために雨水調整池を作ります。調整池は3ha(200m×150m)もの面積があります。設計図を見ると、周りをコンクリートで固められているような池でした。せっかくの水辺なのに自然にやさしくありません。そこで、調整池を人が水辺まで近づける自然共生型の設計にすること、更なる自然の保全のための努力を要求して市議会への請願運動を行いました。1万4千人以上の賛同も得て、議会は趣旨採択されました。その後、自然を守る会、事業者、四街道市の3者協議で自然保護について定期的な話し合いがなされるようになりました。(残念ながら事業が長引く中で、2011.3.11を最後に開かれていません)左上の図は調整池の設計図です。

 

<度重なる事業の挫折、設計変更。イオンは?> 

 

事業が認可されたのは1996年春です。バブルが崩壊し始めた中、秋に工事を開始しました。160億円の事業費は、地主が減歩と言う名目で拠出した土地を売って賄います。109,150円/m2の販売予定価格です。

 

今はその3分の1以下の32,000円ぐらいが公示価格ですから、採算が合いません。事業を代行していた国際興業はバブルの崩壊で傾き、外国ファンドに売られました。それを引き継いだ平和奥田は暴力団との関係が明らかになり倒産。

 

いまはサムティという関西系のゼネコンが引き継いでいます。時価が下がったこともあり、担当会社が代わるごとに工事が中断、10年で終わる事業が26年かかっています。当初、住宅と工場用地とされていましたが、設計変更で工業用地は流通系に代わり、イオンが2007年頃20haを買収しました。

 

 高龗神社の周りの住宅用地も売れる見通しが無くなりました。住宅をつくるからと、国から助成金を受けていることもあり、200戸分の用地は確保していますが、ほとんど準工業用地になりました。今年度中には建物が建ちます。これら設計変更により、残存緑地が半分に減らされています。

 

イオンは来るの?との質問を受けます。わたしは当事者ではないので正確なところはわかりません。22年には、区画整理が終了するために税金が高くなります。そのため、イオンは何らかの手は打つと思われます。ただ、イオンモールのような大型店舗はできないと推測されます。

 

 

 

<自然は回復するのか?> 

 

「トトロの森」と言っても過言ではなかった成山の自然。回復するのだろうか? 当然、NOです。破壊された自然は回復できません。しかし、そのままでは寂しすぎます。残存緑地、自然共生型の調整池、自然を回復させた造成緑地、それらのネットワーク作りが進んでいます。 右図は、中央部の緑地の状況です。調整池を中心に10haぐらいの面積です。

 

・調整池 前ページにあるような、人が水辺に行けます。

 ・イカリ街道 残存緑地、崖沿いにイカリソウとクサナギオゴケ

がずらっと並んでいました。イカリソウは無くなっています。タニギキョウ、ホタルカズラは元気です。

 

・斜面林復元中 フォレスト、さとのたね、メダカの会が植林をしています。斜面林復元中。 

・メダカ田んぼ 森さんがシステムを作り、依田さん等が手を入れています。土着のメダカが繁殖。 

・イオン所有残存緑地 依田さんが、昔の赤道を通れるように整備。イオンと交渉して保全を検討予定。 

・公園 遊具を置く予定はないとのことです。子どもたちが自然の中で遊べたり、プレーパークで利用できるように整備されると良いと思っています。 

・山野草保全中 貴重な山野草が保全されている。日本全体から見ても一級品の保全地です。 

・メダカ亭 調整池の道路を隔てた下側。ムクロジの里にあったメダカ亭が移設されている。散歩の拠点となるでしょう。 

 

成山の24年の歴史と現状を急ぎ足で紹介しました。自然の復元に、皆さまのご協力をお願いします。

2-2.寄稿『アリはすごい!?』 太田慶子

 

泉公園の野草園のコンクに芽出したニリンソウとイチリンソウの葉の茂り具合を見て、あっと思った。

イチリンソウの葉茎は円いコンク内にいっぱいきれいに出ているのに、ニリンソウの葉はほとんどコンク内になく、コンクの外縁に少しあるだけだった。

ふつうイチリンソウはニリンソウに比べて、なかなか広がらず、群落になっているようなところは少ないのに、どうしてコンク内にはこんなにイチリンソウの葉だけがたくさんあって、ニリンソウのは少ないのかと思い・・、そうか、アリさんだ!と、気づいたのだ。

 

アリによる種子散布はよく知られているが、ニリンソウもアリによって種子が運ばれる。種子が落ちたところだけでなく、というか、種子を落とす花があるところに落ちた種子もアリが巣に種子を運んでしまい、花のあるところには種子がなく、アリが運んだところで発芽して子孫を増やしているので、コンク内ではニリンソウの葉が少ないということ。

 

一方、イチリンソウの種子はアリに運ばれないので、あちこちに増えず、落ちたコンク内に密集してしまった。密集するとお互いが土から栄養を奪い合うのか、花をつけるものが少なくなるようで、そうなると種子ができず、イチリンソウは増えないのかもと・・。

 

ニリンソウに限らず、アリによる種子散布植物は多い。カタクリとか、スミレとか、今までわかっているものも多いが、調べるとかなりの植物がアリによって増えているのではないかと思う。あっという間に広がった小さな外来植物(例えば、ヒメオドリコソウやフラサバソウなど)もアリが貢献?しているようだし。

 

 私が注目しているのは、道端などで、塀と道の直角になったすき間に出ている植物で、スミレの仲間なんてまさにそう。

 

他に、クサノオウとか、イヌノフグリの仲間とか、で、あまり見られないミヤマキケマンも駐車場の隅にとか、石垣のすき間に出ていて、これは間違いなくアリ散布だと思った。同様に在来のイヌノフグリもアリが巣を作りそうな石垣のすき間とか、塀の下隅に咲いている。オオイヌノフグリが増えたせいもあるだろうが、今はフラサバソウの侵入で負けそうだ。

 

ネットで検索した観察によると、フラサバソウの種子についているエライオソームは大きくて、アリは大きい方がいいわけだから、同じように種子が落ちていたら、イヌノフグリやオオイヌノフグリより大きいエライオソームを持ったフラサバソウの種子を巣に運ぶとある。タチイヌノフグリにはエライソソームはついていないので、ほとんど種子は運ばれない。

 

このエライソソーム、アリを引き寄せる物質でできているらしいが、種子に比べてかなり小さい。以前、アリはどうしてエライオソームだけをはずして運ばないのかと思ったが、植物も子孫を広く増やそうと考えてエネルギーを使ってエライオソームをつけているわけだから、そう簡単に種子からはずれやしないというわけ。アリが種子からエライオソームだけを取ろうとしている様子を観察している報告も、ネットを眺めていると載っている。

 

大きい種子だと仲間を呼んで複数で運んだりして巣に着いてから、エライオソームを幼虫に与えたり、自分たちで食べたりしているようだ。運ぶ途中で落としたり、することもあるわけで、植物としては、アリさんのおかげであちこちに種子を運んでもらい、目論見どおりということになる。

 

種子を運ぶアリは、クロヤマアリとかシワクシケアリなどが多いようだが、お目当てが種子ではないようで、アリは甘い?報酬のために、運搬という重労働をしているということになる。地球上にアリがいなくなったら、生きていけない植物もいそうだと考えると、アリの存在はすごいと、アリに噛まれて何度か痛い思いをしたことがあっても思う。

2-3.『春は南風にのって!』 鶴田美枝子

 

 日本中がいや世界中がコロナウイルスの脅威にさらされ、不急不要の外出はしない、三密(密閉、密集、密接)を避けるようにと毎日何度もテレビから注意を促せられていました。同好会も観察会は中止、生きもの調査も中止されました。しかし、この季節の動きを見ようとたろやまの郷に行って来ました。1か月前とは違い、いろいろな物が大きく動き始めていました。

   

 

3月はアズマヒキガエルの長い長い紐状の卵のうがもつれ合って水の底に沈んでいましたが、今回は活発に動きまわる真っ黒いオタマジャクシになり、大きな黒い塊が水の中に幾つもできていました。しかし、いつもの年はその中に一回り大きなアカガエルのオタマジャクシが一緒に泳いでいましたが、全く見つけることができませんでした。「あれれ?確か、アカガエルのソフトボール大の卵のうが沢山あったのに何処に行ったのだろか?」と、今年も沢山生まれていたはずなのにと少し不思議になりました。

 

 

林の中ではウラシマソウ、ホウチャクソウ、チゴユリ、マルバスミレ、ムラサキケマン、イチリンソウ、フデリンドウが春を謳歌し、エビネ、ナルコユリ、ミヤマナルコユリ、ヤマツツジ、カントウマムシグサが「次は私たちの出番よ❢」とバトンを受け取る準備をしていました。

 

 

そんな中、昆虫たちも目覚め、倒木の上を黒くうごめく大きな塊がありました。「うう~ん?」何か分からず、まず写真を撮って見てみようとしました。そこへたろやまの郷の地主さんの1人が慌てて、自転車で林の中の散策道をやって来ました。どうかされたのかとお聞きすると、知り合いの方がここでたくさんのゼンマイを採ってしまったので心配で見に来られたようでした。

 

 しばらくお話をして、さあ写真をと思ったらその黒い塊がずい分小さくなっていました。でも何枚か写真を撮りました。家に帰り整理し、虫姫様に写真を送り名前をお聞きました。「シロフオナガバチ(ヒメバチの仲間)」でした。雌は長い産卵管を持ち、木の中にいるカミキリ、キバチの幼虫に外部寄生するために長い産卵管を伸ばし卵を産みます。私が見た時は雌が倒木の内側から穴をあけ、フェロモンを振り撒きながら羽化して出てくるところでした。そのフェロモンに誘われたオスたちが押せ押せで集まり団子状態でした。

もう1つ、斜面で何か動くものがありました。

 

よく見るなんと、ナナフシモドキの若虫でした。2㎝足らずの枯れ葉色のそれは親虫と同じように一足出すのに何度も何度も足を試し出ししながら動いていました。また、こんな珍しい物を写真に撮ったと自慢したくなり、大勢の人に写真を送りました。すると「泉自然公園にいた。」「つくし座の近くで見た」と写真を送ってきました。私が見たものと同じ大きさでした。

 

離れた所でも同じ頃に孵化し姿を現すのが面白いと感じました。

 帰り道ヒメツチハンミョウが道路を歩いていました。名前にハンミョウと付きますが,全く別種のものです。

 

上翅が短く腹部がむき出しなって、飛ぶことはできません。常に歩いて移動します。

 

数千個の黄色い小さい卵を産みます。卵から孵ると幼虫は花によじ登りそこに来るハナバチ(クマバチ、クロマルハナバチ、コマルハナバチ、ミツバチなど)の体に取り付きます。ハナバチが巣に戻るとハチの体からハチの卵の上に降り、卵、花粉、蜜を食べ成長します。これはカンタリジンという毒液を隠し持っているので注意してください。その液に触れると火傷をしたように火ぶくれになります。

 

令和2年3月18日号

1.表紙写真と言葉「ベニマシコ」和田信宏

          ベニマシコ
          ベニマシコ

千葉では冬鳥ですが、比較的移動が遅く、4月半ば位まで見られます。葦原、草地、農耕放棄地などで見られ、草の種などを食べます。「ピッ、ピッポ」「フィツ」という地鳴きの声に気づけば、探すことが出来ます。♂は赤みがあり、更に深紅になる繁殖期の姿は、北海道や本州北端の繁殖地で見ることが出来ます。

 

目次

 

自然観察会の予定(4月~6月)

学校支援・生き物調査の予定

観察会報告

学校支援報告「冬の自然観察」他

2-1.寄稿「頭隠して尻隠さず!」鶴田美枝子

2月の初めにメールが来ました。

「たろやまの郷で今まで見たことがない丸い1㎝ぐらいのウンチがたくさん落ちているがウサギのウンチにしては大きいので何だろう?」と「丸いウンチはウサギ以外には鹿の仲間もそんなウンチをするかな?」

最近南房総ではキョン(小型の鹿)があちこちで被害を与え、繁殖力が旺盛で問題になっていました。とうとうここにもキョンが現れたのかと頭をよぎりました。すぐに「キョンじゃない?」と返事をしました。すると「ウンチの大きさはキョンは7mmで違う」と却下されました。

何だろうと考えていると栗山さんが判断して「やっぱりウサギです。」とそのウンチの写真を送ってきました。まさに今まで見ていたウサギのウンチでした。

「良かった❢」ここの所ウサギのウンチも、足跡を見られませんでした。たろやまの郷でイタチ、アライグマ、ハクビシンの目撃もありました。オオタカやフクロウなど猛禽類もいます。シマヘビ、アオダイショウ、ヤマカガシ、マムシ、ジムグリ、シロマダラなども近くで見ていました。これらの被害にあっていないかと、また周りの森が林がどんどん住宅地に変わり、棲む所がもう無くなってしまったかと諦めかけていました。

私は畑に残された動物の足跡を見るのが好きです。たろやまの郷の近くの畑では雑草が生え始めるとトラクターで雑草を取り除き表面を平らにならしました。その上を横切った動物たちの足跡を見ることができました。ウサギ、タヌキ、ネコはわかりました。

特にウサギの足跡は面白く、たろやまの郷に向かってゆっくり走って行くもの、戻って来るもの、躊躇して立ち止まり、急に方向を変えスピードを上げて走り去ったもの、子ウサギの小さい足跡など何種類もあり散歩の途中飽きることなく長い時間見ていましたが、最近は足跡もなく、どうしたのかと思っていました。

生き物調査の時、そのウンチを見に行きました。マンリョウやカラタチバナの幹が刃物で切られたように、葉の付いていた下からバッサリ幹ごと噛み切り、散らかし、幹の皮を引き剝いた後がありました。そしてシラカシの葉を敷き詰めその上に大量のウンチがありました。ヤツデも長い葉柄の真ん中を少し食べ、後は散らかしていました。こんな食べ方をするのに驚きました。

少し思い出したことがありました。

1つは随分前にムクロジでダイズの新芽の被害がありました。農業を目指しリストラした若者がヨシが蔓延っていた荒地を朝から晩まで開墾し、やっと大豆の種を蒔きました。芽が動き双葉も出て本葉が出始め、ホッと一息つける状態になった矢先の事でした。

畑のほとんど全てのダイズの先の本葉だけを刃物で切り取ったように食べて無くなっていました。そしてウサギの糞があちこちにありました。やっとの思いで開墾し、どんなに肩を落とされたかとかける言葉もなかった事を思い出しました。

もう一つは近くの森での事でした。森の中の小さい広場にケンポナシの木が何本もありました。夏、ノコギリクワガタがバケツに1杯も獲れる所でした。冬のある日、散策していると、そのケンポナシの幹の皮が全てある一定の高さで剥がされていました。ひこばえの先も刃物で切り取れたようになくなっていました。そしてウサギのウンチが大量にありました

最後に総合公園の体育館の裏の木道を何人か歩いていた時,斜面をゆっくり降りてくるものがありました。何だろうと見ていると子ウサギでした。目があった途端スピードを上げ走り去りました。

どこへ行くかとそっとみんなで追いかけて行くと、石垣の隙間に頭だけ突っ込んでいました。もうしっかり隠れてるつもりで安心した様子でしたが、可愛いお尻はそのまま私たちに丸見えでした。諺にあるような場面に、みんなで大笑いしました。「頭隠して尻隠さず」誰かがそのお尻に触れてみると子ウサギは驚き、一目散に丘を駆け上がり姿が見えなくなりました。

2-2.寄稿「畳文化」太田慶子

 

築40年近いうちのマンションには、畳部屋が一つある。障子もあり、襖を閉めると完璧な和室になる。天井も貼り付けではあるが、一応木目のある板でできている。幼い孫たちが来て、押し入れに上がって敷いた布団の上へと飛び降りるなんてことは、クローゼットにフローリングといったカタカナ世界ではできないだろうと。

 

娘たちの家には畳部屋はなく、今ではマンションには畳部屋はほとんどないのではないだろうか。そういうこともあり、畳屋さんからはよく電話がかかってくるように思える。数少なくなった顧客を逃がさないという必死な声で・・。

 

そんな「畳」は中国からの伝来かと思ったら、日本古来のものだそうだ。奈良時代から、畳の元のようなものはあったようで、その名の示すように、本来は畳んで持ち運び可能な敷物全般を指したようだ。従って、その材質は、藁だったり、菰だったり、いや絹だったりもしたようだ。

 

湿度の高い日本では、風通しをよくするために、地面から離れた板の間敷きというのが建築の基本だったのだろうが、暮らしがよくなる、あるいは高い身分になると、居心地を求めるようになる。居心地よく座るためには、クッション性が必要になり、最初は持ち運びできる薄っぺらな敷物を用いたのだろう。それでは物足りないので、台にクッション性のある敷物を置いてということから、その二つを合体させた、そう、内裏雛の台のように茣蓙を張り付けた四角い台が登場したというのではないだろうか。

これは作るのに手間もかかるから、そういった台座を持ちうるのは権力者であり、権力者はそこに座ったりすることで、権力も示せたし、その台を二つ三つ縦に並べたら、そのままベッドのようなものになったのだと思う。平安時代の絵巻物を見ても、そういうものが見えるし、戦国時代でも基本は板の間で、権力者のみが畳らしいものを張り付けた台に座っているのがわかる。

 

通気性があって、丈夫で見た目が良い、今のイグサの畳表が一般的になったのはいつだろうか。座布団(綿が一般的に使われるようになったのは室町の終わりぐらいだったから、綿を詰めた座布団が使われるようになったのは江戸時代もかなりたってからではないかと思う)替わりに、敷物にしたのは藁を編んだ簡素なものだったろう。イグサに注目が集まったのは、きっと、地方から集められる税金である「調」の中にいいものだと気づいた者がいたからではいかと。個人用の座布団的なものから、生活が豊かになるにつれ、部屋全体を敷き詰めるようなものへと移っていったのは、世の中が平和で豊かになったからで、戦乱の世の、部屋にいつも草鞋履き(土足?)で上がってこなくてはならないような時代では、畳を敷きつめるということなど考えも及ばないだろう。

 

部屋全体に畳を敷き詰めるような時代は平和な時代の象徴ともいえる。そうなると、胡坐を組んだまますっくと立ち上って刀を取らなくてもいいわけだから、次第に端座(正座)がよしとされる(板の間での正座では足が痛い?)ようになったかと。ただ、浮世絵などで書かれている遊女たちは必ずしも端座していない。彼女たちの立膝から流れる着物の線はきれいで、垣間見える生足?は色っぽく思えるけれど・・。

 

畳敷きと正座に関りがあるなら、日本人はますます正座ができなくなるなぁと思う一方で、このところの落語ブーム・・若手の落語家さんは平気なのだろうかと。要するに、慣れということなのだろう。

 

令和2年1月15日号

1.表紙写真と言葉「シメ」和田信宏

              シメ
              シメ

 太い嘴で一見するとコワモテの悪人面をしています。

千葉には冬鳥としてやってきて、総合公園などで観られますが、餌探しに地面に降りていても、危険を察知するとすぐに飛び立ってしまうので、高い枝にとまった姿を双眼鏡で観察するほかありません。「チッ」という金属的な鳴き声が、捜すポイントです。 

-目次-

・新年のご挨拶

・自然観察会の予定(1月~4月)

・観察会報告

・学校支援報告他

 

2.寄稿「エノキは残った!」鶴田美枝子

いつも波乗りロードを通り51号に出る時、成山を横目で見ながらどうなっているのか気になっていました。 

先日、「成山の開発の工事がこの春に終わる」とメールをいただきました。工事は10年くらいの予定でしたが、あれからなんと24年も経っていました。 

私が同好会に入る前ぐらいから開発が始まりました。その頃、成山がそこにある事も、開発が始まったことも知りませんでした。 

みそらの住人の方に「成山の森は深く、近づくのが怖いところだった」「昼なお暗く、人を受け入れないぐらい深い森よ」と聞きました。 

みそらの公園から対岸にある成山を眺め、観察会は始まりました。 

もうそこから別世界でした。古村の常緑広葉樹に覆われた暗き道を進むとアオバズクが巣を作り、子育てした大きなスダジイがあり、そこから谷津に降りて行くと背の高いキブシ、スダジイ、ケヤキ、シラカシなどの広葉樹が乱立し、大きな墓があります。 

また、狩りバチが大きな蜘蛛をその墓石の隙間に運んでいたり、サンカクヅル、ガマズミ、カマツカ、サワフタギなどの花に気をとられていると足元にアオイスミレ、タチツボスミレ、マルバスミレ、ジュウニヒトエなどが春を知らせ、ギンラン、キンラン、エビネ、タニギキョウなど貴重な花たちにバトンが渡され次々と所狭しと花が咲いていました。  

坂を上り、林縁を観察していると大きなヘビが獲物を食べたばかりか喉元をパンパンに膨らませ苦しんでいる所に出会ったこともありました。また激しい動きに驚き目をやるとアオダイショウの交尾を目撃したり、盛りだくさんの自然がそこにありましたが、訪れるたびに開発はどんどん進んでいきました。 

日により観察場所が異なり、縄文時代に必要だった土器を作る粘土を専門に取る所もありました。その粘土を食べ物や黒曜石など生活に必要な物とずいぶん遠くまで交換に出掛けたようでした。 

また、おおきな方墳もあり、千葉にない大きな石や勾玉も見つかりました。力を持った豪族が住んでいたことがうかがえました。私たちを育んできた大事な歴史と自然がそこにありましたが、一瞬にしてすべての物が無くなっていきました。この森を少しでも良い方向に残そうと任海さん、市川さんなどたくさんの人々がいろいろな知恵を出し、沢山話をし行動しました。 

ギンラン、キンラン、タコノアシなどの貴重種、長い間この森を守ってきた大きな木の植樹などなどやって来ましたが上手くいきませんでした。ほとんどは根付かず枯れてしまいましたが、新しい広い空間の中に1本だけ支えられながらエノキが立っているのを見つけました。「あ~~そうだ❢」「あの時の」と少し心がウルウルしました。 

今回は依田さんが林縁を歩けるように手入れしてくださったので観察会にとお誘いがありました。林縁を少し歩くのかと参加しました。観察会ではなく探検隊でした。 

私の目が悪かったのでしょうか?参加したことに後悔しながらアズマネザサ、マダケ、ノイバラの生い茂る中を藪漕ぎ、クズ、フジなどつる植物に足をとられながら必死に足を上にあげ前に進み、粘土の壁にも負けじとがんばりました。しかし70才になった老婆には過酷でした。最後の最後とうとう粘土に足をとられ、ズボンも上着もドロドロになりました。こんなになったのは何年ぶりだろうか? 

ここにお暮しになり毎日変貌する景色を目の前にしながらの生活は言葉にならないぐらいの悲痛な思いがあったとお察します。本当に長い間ご苦労様でした。新しい環境がどう動いて行くかも気になりますが、もう全く異次元の世界のように思いました。                                                

2.寄稿「古民家の話」太田慶子

 私が生まれた家は藁葺きだった。下図にあるように、平屋で、子どもの頃の記憶では、各部屋がもっと広い8畳間だったように思えたが、確認にために母に聞いたら、そこは6畳間だと訂正された。

 そして部屋には壁がなく、真ん中に柱があって、ふすまでしきられていただけだった。

 土間に面したところは板の間で、そこに卓袱台をおいて食事したが、寒い時期は隣接の畳の部屋が掘りごたつになっていたので、そこで食事もした。

 風呂に入るのも、食事をするのも、一旦土間に下りて下駄を履いて用を足すことになるわけで、これが靴を履いてとなるとかなりめんどうだったのでは、と今では思う。 

 風呂は五右衛門風呂で、そのためか天井は低かった。風呂釜には蓋代わりに底に沈める丸い板が乗っていた。

 先日、「江戸東京たてもの園」というところに行った折、私と同年齢くらいの女性でも五右衛門風呂を知らないとかで、「窯は火で直に温めるので、蓋の代わりに浮かべてある円い板をゆっくり沈めて入って、背中が釜に当たらないよう座るんです」というと、へぇーという顔をされた。

 今から60年近く前だと、都心と地方ではきちんと格差があったということだろうか。

 水道がなかったころは、その風呂に水を入れるのが大変だったようだ。家を建て替えたとき、風呂釜は土を掘って埋めて、束ねた植木(の苗)の水やりに役立っていたが、その後植木を作らくなってからどうしたのだろう? 

 なお、風呂の焚き付けは外でやるから、薪は雨に濡れないところにたくさん積んであった。薪の燃えカスが灰となってたくさん出たが、今では灰など見ようにも見られないなぁと。 

幼い頃住んでいたのが藁葺きの家だったせいか、茅葺きの、いわゆる古民家というものに関心というか、親しみを感じてあちこちに行って見学するが、一口に「茅葺き」といっても、その材料のカヤにはいろいろある。 

まず、カヤというのは特定の植物ではなく、ススキやアシなどがすべてカヤで、暮らしているその場所で何が取れるかで、そのカヤがなんであるか違ってくる。 

草原ならススキだろうが、川や湖が近くにあれば、アシであったり、クサヨシだったりする。また使われる材料は1種類ということでもなく、外側はアシが使われ、一番内側は藁で、その間にススキとか檜皮で葺かれている場合もある。 

藁は保温性があるが、水には弱く、檜皮が使われるのは水を通しにくいからだろう。また、日が良く当たる南側とそうでない北側では傷み方が違い、日当たりの悪い北側は藁が早く腐る。 

住んでいた頃は、藁葺きももうかなり傷んでいたのだろう、よく雨漏りがして、ひとつや二つの洗面器では受けきれないほどあちこちで漏ったりした。 

補修しようにも、今ではまとまった量のススキも手に入らない。ススキは富士山の裾野で刈られるらしいし、また職人さんも特殊技術となるから、茅の葺き替えには半端ではない費用がかかる。茅葺きの維持には、それなりの見学料を取るか、自治体のバックアップが必要となるわけだ。 

川崎の古民家園というところは全国の立派な古民家が集められているところで、3月に行ったときは、シーズンオフだったせいか、障子の張替えをしていて、聞くと、コウゾを原料としたちゃんとした和紙を使っているそうで、和紙だと10年くらい張替えをしなくてももつのだそうだ。

令和元年11月20日号

1.表紙写真と言葉「モズ」和田信宏

            モズ
            モズ

 の終わりごろから「モズの高鳴き」と呼ばれる、特有の鋭い鳴き声が聞かれるようになります。捕まえたバッタやトカゲなどを枝に刺して保存食にするといわれるハヤニエを見ることがあります。

 

小動物だけではなく、猛禽類のように、自分の体ほどの中型の鳥を捕まえることもあります。 

黒いサングラスを掛けているように見えるのは♂です。

 

 -目次-

1.自然観察会の予定(11月~2月)        2.  学校支援・生き物調査の予定定        3. 観察会報告 「加曾利貝塚」「吉見の森」  「山梨・小名木」「馬渡の森」     

4.旭公民館祭報告

5.学校支援報告「秋の自然観察」                    

 


2.寄稿「静岡旅行記~久能山東照宮」太田慶子

9月25日と26日に静岡を旅行しました。 

25日は大井川鐵道に乗って寸又峡へ行き、川にかかる吊り橋を渡り、またアプト式の列車に乗ってきました。閑散期の水曜ということで、列車はがらがらでした。蒸気機関車に乗りたい・紅葉を見たいというなら別ですが、人の少ないときに行くと、ゆったり自然が楽しめてお勧めです。 

 野草は少なかったですが、トンネルの中に大きなヤママユの雄やオレンジ色が目立つキマダラオオナミシャク、きれいなヒトツメカギバなどがいました。夜、電灯のついているところにやってきたのでしょう。ミヤマアカネもいて、ギンモクセイが香っていました。 

翌26日はまず駿府城へ。駿府城は家康が晩年の10年近くを過ごしたところで、元は今川氏の城。イソヒヨドリが鳴いていて、なんとニイニイゼミの声も聞かれました。今夏最後のニイニイの声でした。 

ここから、近くにある静岡の浅間神社へ。稲毛の浅間神社とは比べ物にならないくらい大きく、立派に彩色された神社でした。傍らの麓山神社の百段ほどある階段を登ると、なんとそこではクマゼミの声が聞かれ、これも今夏最後のクマゼミの声になりました。 

午後、バスで日本平に行きました。時間に余裕があったので、新しくできた日本平夢テラスに上がって、四方を眺めます。天気が良かったので、午前中なら眼下の三保の松原の向こうに富士山も見えたのでしょうが、伊豆半島の突端、石廊崎までは見えました。 

このテラスに上る階段の途中でクサヒバリのフィリリリリ‥という声に交じって、にスズムシのリーン、リーンなどの声もしているかと思うと、草原ではキリギリスの声がして、ツクツクボウシも鳴き、足元にはツリガネニンジンが咲いていました。 

日本平(300mほど)は日本武尊(やまとたけるのみこと)が、草薙剣で野火の難をはらい命拾いをしたあと、高台(有度山(うどやま))から眺めたので日本平と言われるとか。その後、房総(上総の国)に渡ろうと、走水(はしりみず)で妃の弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)の入水により海上の難を逃れ、その姫の袖が流れ着いたのが袖ケ浦だと。 

また、本納には姫を祀った橘木(たちばな)神社もあります。当時駿河などからは海を渡り、房総を通って北へ向かうのがメインルートでした。 

久能山東照宮へ下りるケーブルに乗ります。ケーブルを降りたところに東照宮へ上る石段があり、大きなクスノキにはフウトウカズラやマメヅタが絡み、枝にはヒトツバ(シダ)が生えています。カラスザンショウもあるのか、モンキアゲハとカラスアゲハがよく飛び、南房総の植生と似ている感じがしました。 

久能山は家康自身が死後ここに祀れと命じたところで、その一年後には日光に東照宮を作れというのが遺言だったとか。いずれの東照宮も極彩色で、昔から趣味に合わないなぁと思っていましたが・・ 

家康が埋葬してある神廟には、オナガグモが網をかけ、なんと愛馬を葬ったとある札の下にはタゴガエルがじっとしていました。ここで、このカエルに会おうとは・・(私に目に付くのは、とにかく生き物なんです) 

バスにはまだ時間があったので、資料館で東照宮の大修復を記録したビデオを見ました。 

漆は50年しか持たないので、50年毎に大修復をするそうで、修復時にまず下地の漆までを削らなくてはならない。そのうえできれいにして、漆を何度も塗り、さらに岩絵の具で、元のように彩色することになる。 

漆は湿度にうるさく、気候を考慮して作業をしなくてはならない。きれいに漆が塗られてこそ、岩絵の具による彩色もきれいにできる。彩色は3色が基本で、更に金箔が貼られて完成ということになるそうだ。 

修復から既に10年を経て、日の当たる南向き正面と、日の当たらない所の額とでは、劣化の度合いがかなり違うのがわかりました。 

もちろん権力を誇示する狙いもあったのでしょうが、この修復過程のビデオを見て、極彩色という装飾に対する見方が変わりました。 

最後に、1159段という石段を下りて、太平洋側に出ました。

3.寄稿「小さな秋ど~こ?」 鶴田美枝子

9月の2週目に庭のギンモクセイが良い香りを放ち、「あっ、秋が来た❢」と感じました。 

毎年、このすぐ後にキンモクセイの花が咲き始め、町中がこの香りに満ち溢れ秋になりましたが、今年はほんの一瞬だけ香りを感じただけで、その後の続きがありませんでした。「これから香るのかしら?」と、庭に出るたびに動きのないキンモクセイの木を眺めていました。 

そんな時、知り合いからから「お彼岸なのにヒガンバナが咲かない❢」とメールが来ました。私も庭のヒガンバナを見ていましたが、花穂が地面から少し顔を出し始めたぐらいでした。 

しかし、白花のヒガンバナは花穂を伸ばし咲き始めていました。散歩の時も注意していると鹿渡、内黒田、小深町のヒガンバナも白い花は満開状態でしたが、赤い花の方は全く動きのない所もありました。毎年お彼岸には必ず日本全国一斉に咲いていたのにと不思議に思いました。 

新聞も日本中で起きているこの異変を取り上げていました。 

「9月に入ってもいつまでも気温が高く、雨が降らなかったからかしら?」しかし、ヒガンバナの観光地では例年と変らず、赤に埋め尽くされている映像が流れました。 

「どうなっているんだ?」と会う人会う人に話し、大騒ぎしていると10日ぐらい遅れてあちこちで咲き始め、ホッとしましたが、残念ながら花の色、花の数は例年に比べると少し淋しく、咲いている時期も早く終わったように感じました。

またこんな事もありました。 

歩く時間が悪いのか田んぼの周りではトンボが少なかった。ハグロトンボ、ノシメトンボばかりでした。 

時々真っ赤なマユタテアカネはいましたが、ウスバキトンボは数も少なく、いつもは黄金色に輝く田んぼの上をウスバキトンボが群れをなし飛んでいましたが、そんな秋の風景は残念ながら見られませんでした。口をついて赤とんぼの唄が出てくることもありませんでした。 

ある日側道の水たまりに連結した赤とんぼが産卵していました。腹部の先を水面に打ち付ける打水産卵だったのでアキアカネと分かりましたが、ここでは子孫を残す事は無理なようです。水田の環境が変化しトンボたちはどうなるのかしら? 

やっと台風が通り過ぎた朝(10月中頃)、庭に出るとキンモクセイが香り始め、花が咲き出しました。 

香りの輪が広がり何処にいてもこの香りがしました。やはり、ヒガンバナと同じように1か月ぐらい遅れてました。例年に比べ季節の流れが随分違っているのに驚きました。「今年だけなのかしら?」夏が長く、秋がほとんどなく、キンモクセイとサザンカ、ツバキが同時に咲いているのは少しいただけないように感じました。「これからどうなるのかしら?」「毎年このような風景を見る事になるのかしら?」 

また、こんな事が分かりました。 

この異変のお陰で、わが家のギンモクセイについて調べました。 

引っ越してきた時「大変珍しいのよ」と言われました。初めの何年かは白い花が咲いていましたが、いつの間にか薄黄色になっていました。これはキンモクセイより少し早く咲き始め,葉は鋸歯がある物とない物がありました。 

いろいろ考え調べた結果これはギンモクセイではなく、ウスギモクセイだと分かりました。分かるまで随分長い時間がかかりました。植木鉢に植えているのでまだ果実ができたことがありません。庭の何処か空いている所を見つけて植えてみようかと考えています。